米国最強の二世部隊を作った明治の武士道
明治の日本人が作ったハワイに学ぶ (第三話)
布哇ジャパニーズセンター長 本田正文
さて、今日の話は、ホノムの一世リーダーサムライ曽我部四郎牧師などハワイに移民した明治の一世たちがどれだけ、あの第二次世界大戦の米軍日系二世部隊が生みだす原動力になったかをお話しましょう。
ハワイ島ホノムで活躍した曽我部四郎牧師は、1865年(慶応元年)に福岡県に生まれます。1894年明治27年に先にハワイで活躍していた岡部次郎牧師に誘われて、京都の同志社大学を卒業して、すぐにホノルルのマキキ教会を創立する奥村多喜衛より一年早くハワイでキリスト教の伝道と移民たちを助けるためにハワイ島ホノムにやってきました。ホノム(保野武)義塾は、1897年、明治30年の二月に曽我部四郎牧師とその妻しかの二人でホノムに作られました。同じころ、ホノルルでは、奥村多喜衛牧師の奥村ホームと日本人学校もできていました。ハワイの移民の子供達に明治の日本にできた学校、熊本県の徳富蘇峰の大江義塾と同じレベルの教育をしようとしたのです。サムライの魂と西洋文明を若い二世たちに教えるために宿舎を作り貧しいキビ労働者の子供(二世)たちのための教育に生涯を捧げたのです。1903年には、ホノムに日本人二世たちのホノム義塾バンドを作ったりしたそうです。立派な服装でヒロでもよく演奏したことが古い新聞に載っています。1924年に日米摩擦最大の差別法案が米国議会を通過します。あの排日移民法です。日本人だけは、米国に移住移民できないという日本蔑視の法案がカリフォルニアを中心に起きていた反日運動の中で作られます。そんな時に、曽我部牧師は、当時のハワイ島の町ホノム、ヒロ、ホノカア、コナなどで講演会をして、二世たちは、この最悪の日米摩擦の中で、どう生きるべきかを説きました。1925年に曽我部牧師は、次のように二世たちはハワイ島ヒロ市の大和座での演説会で、二世の生きる道を示します。
「関が原の戦いにおける真田父子兄弟の態度を紹介し、日米万一の事ある時に際し布哇(ハワイ)生まれ諸君此処に至っては、真田父子兄弟が敵見方となった如く、最も武士道的に忠誠を尽くして敵味方となるべきである。。。星条旗に忠なれ、日章旗に忠なれ。。。君たちは、布哇生まれ、生まれながらにして、米国人である。義、正に米国の為に戦うへよ。。。大日本帝国の忠良なる臣民よ。義勇公に奉じ以って天壌無窮の皇運を扶養すべし。。。いざ、諸君、布哇生まれの諸君と手を握り合って長き別れを告げ、日本へ帰る。我々は、父子兄弟親友も一旦は、敵味方とならなければならない。。。。よしんば余にして我が師弟の銃弾に倒れるとも、彼等が星条旗の下に奮闘したるその忠勇義烈に対して賞賛の辞を捧ぐべきである。」(「布哇毎日」1925年4月14日)
