ライマン美術館にて本田正文による講演がありました
9月16日ライマン美術館にて、ハワイジャパニーズセンターのセンター長である本田正文氏による講義がありました。テーマは、日系二世がどのように作られたか、でした。
講義では、ハワイジャパニーズセンターの「昨日を保存して、明日を作る人を育てる」 という哲学を、すばる望遠鏡の研究している星の例を用いて、歴史を研究していくことの意義を説明しました。つまり、今私たちが見ている星は、何年もの長いときをかけて地球に届くのであって、そこから今や将来を研究していくことが重要であるのと同じように、ハワイジャパニーズセンターの行っているハワイ日系移民の歴史から、彼らの文化や習慣を学ぶことが、私たちがこれから生きていくために必要な人を作るということでした。
講演では、明治元年者から官約移民の歴史を説明するとともに、一世が二世を育てるに当たって、重要な役割を果たしたことを説明しました。そこでは、日本語学校の設立や、当時政治に興味の無かった二世に、政治の世界に進むことの重要性を伝え、奨学金の仕組みを作るなど、一世の先見の明があったを説明しました。
また、日本人初めての米国弁護士や、日系人初めてのハーバード大学卒業に関して、一般的に知られている情報は誤りで、本当は次のようであるというトリビアも説明がありました。
日系移民最初の弁護士は、元年者二世の小澤健三郎Aurtherという方で、1907年に一年でミシガン大学法学部を卒業したそうです。彼は自費で卒業したそうですが、上記にある一世の作った奨学金の仕組みで卒業した人は、以下のようになっています。
- 1919年にシカゴ大学法学部 築山長松ウイルフレッド 一九二四年にハワイにて弁護士に
- 1921年にウイスコンシン大学経済学部 鈴木時太郎
- 1922年にワシントン大学入学、ハーバード大学に転校、政治学 森分謙一
- 1924年にシカゴ大学入学、ハーバード大学に転校、法学部 丸山正二
- 1925年にオベリン大学、ハーバード大学に転校、法学部 島村佳徳
また、日本と米国の間で戦争が起きる前からも、一世は最悪の事態を考え、戦争が起きた際には、武士道の考えに基づき、ハワイで生まれ、米国で育った二世は、米国に奉仕するべきであるという考えを伝えていたそうです。より早く戦争を終結させ、どちらが勝とうが援助し合う必要があると説いたそうです。このため、本土の日系移民よりもハワイの日系移民が戦争に対して、パニックにならずに対処できたとのことでした。また、戦後、日系移民たちから日本にたくさんの支援もありました。
このように、一世の先見の明によって、100大隊や442部隊などで活躍する日系移民が後に、ハワイでの政治にも強く影響力を与えるようになっていき、現在に至ったとのことでした。
受講生の中には、実際に自分は442部隊の一員として参加したが、妹が収容所に入っていた人がいるなど実際に生きた証人たちも参加していました。
また、日本の戦争での行為を許せない人たちには、どうしたらいいか、という質問に対し、本田氏は、戦争に関しては、なぜそれが起こったか、という理由や文脈を学ぶ必要があるといった説明がありました。
