Preserving the past, to build the future.
昨日を保存して、明日を作る人を育てる

ハワイへ日本民族の大移動

明治の日本人が作ったハワイに学ぶ (第一話)

布哇ジャパニーズセンター長 本田正文

今は、明日がわからない不安な時代と言う人もいますが、実は、現代の日本人は「現在」がどうやってできてきたかを知らないから、よりよき「明日」をどう作ったらいいのかわからいのかもしれません。ハワイで見えてくる明治の日本人による日本の国際化と人間や町作りを知ることで、現在がもっとはっきりと見えてくるのではないでしょうか。

ヒロの町 B.J.Baker撮影 1924年
ヒロの町 B.J.Baker撮影 1924年

ハワイには、現在を作った日本の過去が残っています。1868年、140年くらい前に153人が、明治維新の前にハワイへと鎖国の日本から海外へと旅立ったのです。たった153人の日本人先駆者達も、日本、ハワイ、アメリカを変える力となっていきます。例えば、広島出身の鈴木国蔵は二度目の妻としてオランダ人と結婚して資金を得て1880年代にハワイ島(ハワイ州で一番大きい島)にあるヒロの町にお店を開きます。そこへ1885年から始まるハワイ王朝政府と明治政府の協定によって始まった官約移民が毎年何千人も押しかけてきてヒロを近代的な町にしてしまいます。

ハワイ全島では、明治27年までに29、139人がハワイに渡ってきました。ホノルルより前に、当時の横浜にも負けない港町がハワイ島のヒロにできてしまいます。そこで稼いだ鈴木国蔵は広島に大金を持って帰ります。今でも宮島に大きな鈴木国蔵の灯篭が当時のハワイからの経済援助の大きさを物語っています。実は、日本はこれまでにハワイに行った明治の移民たちからかなりの経済援助を受けてきたことは、明治、大正、昭和の移民の歴史を調べればわかります。ハワイの先駆者たちはお金だけでなく、現代のアメリカや日本を変え、日米共存を可能にした戦前と戦後支えた「知恵」も残していきました。

元年者の子供、二世、にアメリカで初めての二世弁護士になった小澤健三郎アーサーがいます。元年者移民小澤金太郎夫妻のハワイ生まれの二世です。1907年日本はやっと日露戦争で勝ち、世界の列強たちに仲間入りしたばかりのころに、すでに大国だったアメリカの弁護士になったのです。更に、元年者の桑田松五郎の孫、三世、は、ハワイ島郡長になり、1963年にハワイ島と伊豆大島との姉妹島提携しに努力しました。日米間の町で増えている姉妹都市の魁も明治のハワイへの開拓者たちの子孫なのです。

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