Preserving the past, to build the future.
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ハワイの古都ヒロを築いた明治人

伊勢本久人
伊勢本久人

ハワイで最初に大きな町になったのは、ハワイ島のヒロでした。ホノルルも、まだ、小さな町だった頃に、1885年から始まった官約移民の日本人移民が大量にヒロに町の近くにある砂糖キビのプランテーションに何千人と移民してきたのです。そして、そのヒロの町を造った明治の大工たちが、たくさんいました。その中で、現在もハワイ島で一番大きな建築会社として、スバル天文台とか道路工事など、大きな仕事を請け負っている会社があります。伊勢本建築です。今回は、伊勢本建築の創立者である広島からの移民伊勢本久人が、どのようにハワイで 会社を作っていったかを振り返ってみます。明治30年1月8日に広島に生まれた久人は、1912年、先に来ていた父千根文と合流して、砂糖キビプランテーションで働き始めます。しかし、健康上の理由から、プランテーションを契約満期前に出て働くことを許されます。久人は、7年間石工コンクリートの会社で働いて、英語と輸入業について、詳しく学びます。前の上司と共同経営を試みたりしますが、うまくいきませでした。

1946年の津波とWailuku River Bridge
1946年の津波とWailuku River Bridge

久人は、自分で会社を作ってみますが、すぐに、政府の仕事を請け負うことが、一番利益が大きいことに気づきます。そこで、1926年に伊勢本請負会社を設立して大成功します。1938年にハワイ島群政府から請け負って作った鉄筋の橋は、二度の津波にも耐えて今もヒロの町にかかっています。戦前や戦後すぐの日系新聞には、いつも大きな伊勢本請負会社の広告が目につきます。真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争中は、伊勢本請負会社は押収され、久人は、ニューメキシコのサンタフェ日本人強制収容所へと連行されます。戦争に付け込んで、米国陸軍は、久人の所有していた建築資材、上質の建築機械や株などを没収しました。若い会社の従業員や技師たちは、みんな戦場での建築工事をするために工部部隊となって出兵してしまいまいした。しかし、久人の娘の婿で会計をしていた二世のシギ ユキオが、誠実に伊勢本請負会社の仕事を続けておいてくれました。

 現在のWailuku River Bridge
現在のWailuku River Bridge

1945年に強制収容所から、釈放されて帰ってきた久人は、請負会社を初めからやり直しました。陸軍が使っていた建築機会は壊れてしまい、使用料も最低限しか支払われませんでした。しかし、その後は、親類や友人たちの協力で、伊勢本建築としてハワイ島での建築事業に大きく貢献していくことになります。今では、大きな工事現場ではどこでも、伊勢本建築のトレードカラー、黄緑をしたトラックやブルドーザーが目に止まります。1967年からは、息子のラリー伊勢本が社長を引き継ぎました。現在は、3世のレスリー伊勢本の時代です。

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